その星は、大いなる意思を以て現れた。 それは始まりの星。 それは来るべき日を告げる星。 時が巡り、再びその時がきたことを全ての者へ知らせる星。 「………」 その少女は、黙って空を見上げていた。 夜空だと言うのに、鮮やかに輝く満天の星が辺りを気味が悪いほど照らしていた。 少女は何かを待っているかのように、空を仰いだままぴくりとも動かない。 「――――来た」 不意にぽつりと少女が呟いた時、一瞬夜空が眩い光に包まれた。 目もくらむほどの光は、大きな軌跡を描いて空を横切り、地平線の向こうへと消えた。 「ラゴウ…」 光そのものを孕み放出するその姿の残滓を、まるで臆することなくただ見つめる。 少女の顔は無表情。 けれど、その熱に浮かされたような視線は、決してそらされることはなかった。 トクン 何だろう おとが きこえた トクン とても心地よい、ちいさなちいさなおと 何故だろう こころが、安堵する トクン ああこれは わたしの、心臓のおと――――…… 「何だ……?」 蓮は、道の向こうに見える不可思議な影に気付き、怪訝そうに眉を顰めた。 時刻は、夜。 先ほど、己が唯一の敵と見なした麻倉葉の一次予選に足を運んできた。 その彼は、自分よりも巫力の弱いシャーマンに危うく殺されかけるところだった。 一度とはいえ俺を倒した男が、こんな相手に負けるなど… 初めは不愉快に思った蓮だったが、最初のあの無様な戦いからもう随分と日が経っている。 その間一時たりとて修行を欠かさず、鍛錬を怠らなかった。 その自分が、先ほど麻倉葉を危機に陥らせていた相手を、何の苦もなく吹き飛ばしたのだ。 確実に、自分は強くなっている。 それを確信して、蓮は上機嫌だった。 あとは、予選試合の当日を、待つのみ。勿論それまでの修行に余念はないし、今以上に気合を入れねばならない。 そんなことを考えながら、夜の静かな街で、白凰を走らせていた、その矢先。 「あれは…」 一旦立ち止まり、路地の奥に横たわっている影に目を凝らす。 何だろうか。 細長い物体、としかわからない。 暗くてよく見えないのだ。 国から最低限の維持しかされていない周りの街灯は薄暗く、殆ど役に立ってはいなかった。 何にしろ、自分が帰るべき場所は、この先にある。 その障害となっているアレは、邪魔で仕方ない。 (フン…) 蓮は鼻を鳴らすと、白凰がそれに躓かないよう、注意深くゆっくりとそれに近付く。 そしてそれがはっきりと見える位置に来た時――― 蓮は、息を呑んだ。 「なっ…」 予想外だった。 あの影の正体は――― 「女…?」 それは、見知らぬ少女だった。 生きているのか死んでいるのか全く不明だが、とにかく一人の少女がそこに倒れていた。 思わず白凰から降りて、蓮はその少女にそろそろと近付く。 少女はぴくりとも動かない。 「……!」 再び、蓮は息を呑んだ。 少女は大きな布のようなものにくるまれている。 肩が少し露出していたが、それは紛れもなく白い素肌。 どうやら布以外、少女は何も身に纏っていないらしい。 蓮は慌てて辺りを見回した。 だが少女の服と見えるものも、事件、例えば暴行などがあった痕跡も見あたらない。 ただ、少女はそこに横たわっていた。 恐る恐る、少女の顔を覗き込む。 年の頃は、蓮よりもやや幼いくらい。目を閉じたその顔はまだあどけない。 よくよく目を凝らしてみると、その胸は微かに上下していた。 「………」 どうすべきか、と思った。 いつもの蓮ならば気にも留めなかっただろう。 だが、つい先ほどまで酷く高揚していた気分が、今一気にクールダウンさせられたせいか、 どうにも印象が強すぎて、頭が目の前の少女のことでいっぱいになってしまった。 人間の、それも少女が道端で倒れているなど、そうそうある出来事でもないから、余計に。 正直、拾い物はごめんだった。 元々猫や犬等を、拾ってくるのも嫌いなのだ。 答えは単純。 面倒だからだ。 それを人間の少女、ましてや面倒ごとの匂いがぷんぷんするものを――― 『……坊ちゃま』 どうなさいますか、と同じく動揺を隠せない持ち霊の馬孫がたずねる。 チ、と小さく蓮は舌打ちをした。 どうするもなにも、これしかないだろう。 「連れて帰るぞ、馬孫」 『…御意』 このまま凍死されても寝覚めが悪い。 そう自己完結させると、蓮は少女を抱き上げ、白凰に乗せた。 「―――そうか、姉さんは今、いないのか…」 姉の潤が中国の自宅に里帰りしていることを、すっかり失念していた。 この少女の介抱は、姉に任せればいいと思っていたから。 少女を布にくるんだままホテルのソファに寝かした蓮は、不機嫌そうに考え込んだ。 こういう場合、まずどうしたらよいのだろう。 つれてくる間に目を覚ますかもしれないと密かに期待していたのだが、見事に外れたようだ。 大体少女が何故倒れていたのかも、わからないのだ。 熱があるわけでもなさそうだし、息も乱れてはいない。 そのほかにも、特に目立った外傷などはないようだ。 別に少女の身体を調べたわけではないが、くるんである布が綺麗なままなのである。血痕も見当たらない。 これではただ寝ているとしか言い様が無い。 蓮は何をどうすることもできなくて、少女が寝ているソファの端に腰掛けた。 ぎし、とスプリングが鳴る。 そのままため息をつきながら、昏々と眠り続ける少女の顔をまじまじと見つめる。 (本当に、何なのだこいつは…) やはり、慣れないことはするものではないということか。 あのまま放っておけば良かったかもしれない。 面倒ごとは嫌いだというのに。 何をやっているんだ、俺は。 本日何度目かになるため息を吐いたそのとき。 「…ん……」 小さな呻きが、聞こえた。 すかさず少女の顔を見やる。 視線の先で、幼い唇が僅かに動いた。 「ん…ぅ……」 そして大きく息をつくと、その瞼がゆるゆると持ち上がる。 奥から現れた双眸は、しばらく宙を泳いだあと、目の前にいる蓮に気付いた。 「………」 「………」 お互い見つめあうことしばし。 その沈黙を先に破ったのは、少女の方だった。 「………あなた、は…?」 その純粋な疑問に思わず口を開きかけた蓮だったが、ハッと我に返ると、 「俺のことより、貴様だ! 貴様、何故あんなところに倒れていたんだ」 「あんなところ…」 ぽつりと呟きながら、ゆっくりと少女は起き上がる。 その拍子にするりと布が滑り落ち、少女の白い肩と鎖骨が露になった。 一瞬蓮の身体が硬直する。 「なっ……馬鹿か貴様!」 と慌てて少女の傍へより、その布をずり上げる。 動悸が耳の奥でうるさかったが、当人はそれを黙殺した。だが耳が赤くなっていることは隠しようもない。 対する少女の方は、こくん、と首を傾げ不思議そうに蓮を見上げた。 「なに…?」 「なにじゃないだろ! 俺を馬鹿にしているのか!」 蓮の表情と声音、そして手元を見て、ああと納得したように少女がうなずいた。 「……別に、いいの」 「は?」 「イレモノなんか、どうだって、いいの」 こいつは何を言っているんだ? と蓮は頭を抱えたくなった。 やっぱり面倒ごとだった。 それも、最悪な。 「全く…シャーマンファイトの大事な予選試合が近いその時に」 「シャーマンファイト…?」 少女が僅かに目を見開いた。 「あなた……シャーマンファイトの、選手…?」 「!? まさか貴様、シャーマンか!?」 すかさず身構える蓮に、だが少女はゆるりと首を横に振った。 「ちがう」 「だがシャーマンファイトを知っている」 「…そう、しってる」 「貴様、シャーマンなのか」 「……ちがう」 同じ質問に、淡々と同じ答えを返す少女。 蓮の金瞳がいっそうきつくなった。 徐々に殺気が膨らんでいく。 「ならば何故知っている。シャーマンファイトのことを」 「………」 「答えろ!」 鋭い叱責に、少女はそっと目を伏せる。 長い睫毛が頬に影を落とす。 そして、ぽつりと答えた。 「……………カミサマ、が」 「は?」 「カミサマが、おしえてくれた、から」 ひとつひとつの言葉を、妙にかみ締めるようにつぶやく。 そう、それは返答ではなく、呟きに近かった。 蓮の双眸からふっと怒気が抜け、怪訝そうなものへと変わった。 「…なんだ、それは」 「……『なんだ』…?」 「そのカミサマとやらは、一体なんのことだと訊いている。持ち霊か? 貴様、シャーマンではないと言ったではないか」 「…わたし、シャーマンじゃない。カミサマも、持ち霊じゃない」 「ではカミサマとは、なんだ」 「…………カミサマ」 「貴様」 今にも食って掛かりそうな蓮を、慌てて止めたのは持ち霊の馬孫だった。 『お、お待ち下され坊ちゃま!』 「ええい馬孫、邪魔をするな! こいつは俺たちの敵かもしれないのだぞ!」 『ですが、大事な試合がまだ残っております! どうか、今は無駄な衝突はお止め下さい!』 「貴様、霊の分際で―――」 『これも坊ちゃまにシャーマンキングになって欲しいが故の言葉にございます!』 そういわれると、蓮も思い留まざるを得ない。 しぶしぶ蓮は、振り上げた拳を下ろした。 息を大きく吸って、吐いて。 「おい、貴様。名は」 「…………」 「。何故貴様は、あの場所に倒れていたのだ。それも、その布一枚で」 「………」 と名乗った少女は、まじまじと自分の身体を見つめた。 その様子を目にして、蓮はまさか記憶喪失なのかと一抹の不安を覚えるが、どうやらそれは杞憂であったらしい。 だがそれは、とてつもなく意味不明な答えだった。 「あそこに、うまれたから」 先ほどと同じ、噛むようにゆっくりとした口調で。 少女は、告げた。 蓮のこめかみが再び引き攣る。 「俺を馬鹿にしているのか」 「ちがう。わたしは、確かに、あそこにうまれた」 「……だから。生まれたばかりだから何も身に着けていないとでも言うのか」 「そう」 「………」 ぐ、とその拳に痛いほどの力が加わる。 だが蓮は必死で激昂しそうになる感情を抑えた。 ここで怒鳴ったところでどうしようもない。自分が疲労するだけだ。そう言い聞かせる。 そうして震えている蓮を、はゆっくりと見上げた。 そっと手を伸ばす。 突然頬に感じた冷たい感触に、ハッと蓮は我に帰った。 だがは、彼に指先で触れたまま、言葉を紡ぐ。 「―――アナタは、だれ」 「……蓮」 「れん」 「そうだ」 れん そう呟く赤い唇を、蓮は動くことも出来ずに凝視した。その瞬間、怒りすらも忘れた。 動けなかった。 動くという概念すら、浮かばなかった。 少女の顔は、酷くあどけない。 にこ、と。 不意にその唇が綻んだ。 「きれい」 「な…」 蓮が動揺するより早く、その腕がスルリと離れた。 そして、固まっている彼の肩にことりと頭を寄り掛からせる。 ふっと崩れ落ちる華奢な身体。 「な、お、おい!」 慌てて彼女の顔を覗き込むと、瞼が閉じられ、唇からはすうすうと寝息が聞こえてきた。 「寝た……の、か…?」 信じられないような面持ちでその顔を見つめる。 余りにも唐突な眠り。まるで気を失ったかのような。 だがやはり、その身体に発熱などの異常は感じられず。 もしかして、意識を長く保つことが出来ないほど、疲弊していたのだろうか… とりあえず少女をそのままソファに寝かしながら、蓮は考える。 「何にせよ、面倒なことになったな…」 麻倉葉との因縁の試合を、控えているというのに。 自分で招いた結果とはいえ、蓮は渋い顔で嘆息せざるを得なかった。 |